受け入れ、認め、許し、愛すること。

こんにちは、お久しぶりの投稿です。

先月はイベント出店を終えてバタバタと3ヶ月ぶりの九州へ。

毎日の温泉と大きな海にとても癒されて大阪に戻ってきました☺︎


今日は【ホ・オポノポノ】という心身の健康法についてお話ししたいと思います。

【ホ・オポノポノ】は、"不安や困難を抱えている方への問題解決方法であり心身の健康に効果的な手法"としてよくスピリチュアル界隈で採用されている方法で、私自身スピリチュアルという分野には興味関心を持っていますが、根拠なく無闇にスピリチュアルを信仰するのはあまり好きではありません。

なので今日はこの【ホ・オポノポノ】の問題解決能力の高さを、可能な限り実体験に基づいた物理的な視点でお話ししたいと思います。


【ホ・オポノポノ】は、400年前からハワイに伝わる問題解決法で、罪悪感やネガティブな感情のクリアリング、紛争解決、家族間問題、ひいては病気すらも解決するとされている手法です。

ポノはハワイ語で「正しい、調和、成功、真の状態、道義」、ホオポノポノは「物事を正す、調和させる」を意味し、ハワイの"人間州宝" 伝統医療のスペシャリスト故モーナ・ナラマク・シメオナ女史によって創立された医療法の一つで、国連、UNESCO、WHOなどさまざまな国際会議、高等教育の場で実践されてきました。

その方法は極めてシンプルで、「ありがとう」「ごめんなさい」「許してください」「愛しています」という4つの言葉を自分の潜在意識に語りかける、もしくは全ての言葉を集約して「愛しています」と語りかけるだけです。

薬も使わずに毎日言葉を唱えるだけで本当に心身ともに健康でいられるならそんな生産性の高いことってないじゃないですか。

だけどなかなかこの簡単なことが意外と続けられない、だからほとんどの人がそれを続けることで何が起こるかを知らない、その結果、最初からそんなことして問題なんか解決するわけがないと決めつけて精神論を否定してしまいます。

なので私はいつもその精神論の信憑性を確認するために、自分の人生を良くしてくれそうな人や思考にはあえて自分から洗脳されにいきます。バカになって一回それを信じるんです。

そうすることでしか既存の価値観は壊れないし、既存の価値観が壊れなければ新しい価値観は生まれません。つまり"目に見えないものを信じる"精神論など、到底理解することはできません。

この【ホ・オポノポノ】は、日本では まなゆい(愛結) と言われていて、肯定的な口癖として「受け入れ、認め、許し、愛しています」と唱えることで【ホ・オポノポノ】と同じ効果があるとされています。


先ほど、"4つの言葉を自分の潜在意識に語りかける"と言いましたが、"潜在意識"とは言い換えると人間の"無意識"の部分を指します。

長くなるので詳しい解説はまた後日執筆しますが、人間の行動は90%以上が"無意識"に決定されています。

これは脳科学で証明されている事実で、一番分かりやすく解説されている参考文献は『強運の法則』という本です。

余談ですが、友人に勧められて読んだこの本は定価16,500円と本にしてはかなり高額で私も半信半疑で読んだのですが、その驚くべき内容の濃さと、搭載されている全26ページの能力開発シートは多くの経営者のバイブルとされてきた金額以上の価値がある本でした。

現在もビジネス参考書としては異例の定価割れしていない本で、口コミでも高評価を獲得し続けている素晴らしい本ですので、ご興味のある方はぜひ一度読んで見てください。"人生が変わる本"と言っても過言ではないです。


話を戻して、この本の中でも同様に、人間の行動の意思決定は90%以上が"無意識"に行われていることが書かれています。

そして同時に、自分の人生を"思うように生きることができない"のは、潜在意識(無意識)の中に蓄積された過去の記憶が原因であるとされています。

"仕事で成功しない"と苦悩している人は、"仕事で成功しない"という記憶を生きてしまっている、ということです。

 『強運の法則』の中では、その潜在意識を意識的に塗り替えることでポジティブな人生に切り替わる方法が具体的に提唱されています。

また、同様に【ホ・オポノポノ】も、"人間の行動を邪魔しているのは運命でなく「記憶」である"という解釈がされています。

不幸な記憶が再生されることで、わたしたちは不幸な体験を繰り返します。どう言うことかというと、

昔付き合っていた彼が浮気をしていた、その彼はいつもトイレに携帯を持って入っていた。だから今の彼が携帯をトイレに持って入ると不安になる、その結果、純粋に自分を愛してくれている彼を疑って傷つけてしまい、別れることになってしまった。

これも過去の記憶が無意識に自分を守るために生み出した行動パターンです。

そしてこの過去の記憶は無意識のうちに私たちの心の奥底に住み着いて、私たちの行動や未来までも決定してしまいます。

さらに厄介なのは"無意識"の中に住み着くために自分自身で気付くのがとても難しい。この"潜在意識(無意識)"をポジティブに保たなければ、私たちの心身は悪化の一方を辿る可能性が非常に高いのです。

そのためわたしたちは過去の記憶をひたすらクリーニングする必要があります。

無限にある記憶に、深く考えず感情も込めず、コンピューターのデータを消すときにデリート(消去) キーを押すような感覚で「受け入れ、認め、許し、愛しています」と唱えることで意識的に潜在意識の中にある「記憶」を塗り替えると言う作業がこの手法です


では、なぜこの【ホ・オポノポノ】が心身の健康に効果的であるのかを詳しく説明していきます。

まず、大前提として"なぜ人生が思うようにうまくいかないのか"? 

これを理解する必要があります。

もちろん人によって状況も環境も違うのでそれぞれ理由はあると思いますが、

"人生がうまく行っていない時(人)"には必ずある2つの共通した原因があります。

それは

①認められないこと、許せないことがある

②期待している

この2つです。


まず1つ目の認められないこと、許せないことがある》について。

自分の"価値観"や"常識"とズレた人と接触すると、多くの人は瞬時にそれを否定することから始めます。私も含めた大半の人間がそうなので恥じることはありません。

簡単に言うと、"職場ですれ違った上司に元気よく挨拶したのに無視された"ら、ちょっと嫌な気持ちになりませんか?私はなります。

『感じ悪っ。』と思って、もしかしたら次にすれ違っても挨拶しないかもしれません。

これは、私が『挨拶を返す(挨拶をする)』ことが良いこと(正しいこと)だと思っていて、"挨拶を無視する人は間違っている"と無意識に信じているからです。

人間はあまりに居心地が悪い人とは長時間一生に過ごすことができません。なので、"挨拶をすることが良いこと"だと思っている友達が私には多いです。これが【類は友を呼ぶ】の正体です。

なので、そういう上司が職場にいると"ストレス"になり、仕事に行きたくない理由を"その上司のせいだ"と錯覚してしまいます。

でももし仮に、その挨拶を無視した上司が何か想像を絶するような大きな悩みを抱えていたとして、例えば毎日認知症の親の介護をしていたり、妊娠中の精神的な不安定などを誰にも言えず抱えていたとしたら、仕事に来るのだけで精一杯な精神状態で周りのことが一切考えられない状態なのかもしれない。

だから全て受け入れろというわけではなくて(それは無理です)、ただ、自分の"価値観"や"常識"は固執するほど自分の首を絞めます。

どういうことかと言うと、自分が逆の立場になった時、例えば自分の親が認知症になって自分のことも覚えていなくて、毎日家を抜け出して会話もできなくなって、さらにその介護に仕事以外の時間は追われているとします。

その時、"挨拶を無視した上司"を許せない人は、"挨拶をしない自分"も当然許すことができません。さらに自分の周りにはすでに"挨拶をすることが良いこと"だと思っている友達でがっちり固まっています。

なのでどんな究極の精神状態でも、無理して通常通りに振る舞おうとします。人のことを否定しておいて"自分は今は辛いから言わなくてもわかってくれ"は通用しないからです。

だけど生きてれば通常通りに振る舞えない時だってあります。それを自分に許せなくなるのです。許せない環境を無意識に作ってしまっているのです。つまり、"これはこうであるべきだ"という思考を抱えれば抱えるほど、自分自身が完璧を求めなければならなくなります。

でもなれないんです。万物は表裏一体、長所短所があっての完璧です。

そうして気づかないうちに現実と理想の自分の間に溝が生まれ、今度はどうなるかというと『自己嫌悪』が顔を出し始めます。

こうなってしまうともう悪循環を止めるのが難しくなります。

戦国時代のヒーロー織田信長は歴史上偉大な人物として今も多くの歴史ファンに愛されていますが、当時の人からすれば戦争に家族を巻き込んだ大量虐殺統治者に見えていたかもしれない、だけど彼がいなければ確実に日本の発展はなかった。

どんな出来事・物事も万物は見る角度を変えれば正解であり不正解なのです。

だからあまり、自分にも他人にも自分の人生にも『正解・不正解』は決めず、一旦善悪を判断する前に受け入れる。

"確かに自分も朝しんどくて挨拶できない時あるよな。気づかない時もあるしな。"

という風に、自分も完璧になれないことを受け入れ、認め、許すことです。

そうすれば、世の中のほとんどのことに腹も立たなくなるし不安も感じなくなります。

どんなことも受け入れ、認め、許してみてください。

今度はそこに『愛』が生まれます。


2つ目の期待している》について。

皆さんは、『期待』の対義語が何かご存知ですか?

『期待』の対義語は『失望』です。

万物が表裏一体であるならば、期待の裏にあるのは"失望"なのです。

『こんな旦那さんが理想だな』という期待は『うちの旦那は理想通りに動いてくれない』という失望を生みます。『楽して稼ぎたいな』という期待は『今の仕事は不満だな』という失望を生みます。

私は今まで"幸せな人生"を求め、叶えるためにいくつもの"理想"を打ち立ててきました。そのために努力することが正解だと思っていたし、"頑張る理由"を見つけて走り続けてきました。

それは、自分と自分の人生に"期待"していたからです。自分ならやれる、私の人生は必ず幸せになる、と、自分を奮い立たせたかった。

当然人生は思い通りにはいかないし、その度に一喜一憂しました。

何度も自分の理想をリマインドし、幸せを信じて生きてきました。だけどいつまで経っても理想に辿り着かない。なぜでしょうか?

それは私の成長とともに理想も高くなり続けていたからです。その結果いつまで経っても自分に自信が持てなかった。

その時の私は、なんでこんなに頑張っているのに結果が出ないのか、なんでこんなに生きるって大変なのか、そう思っていました。

だけど結果は出てるんです、実績も伴い、グラフィックデザイナーとしても認めて頂いている、大好きな人と結婚して、助けてくれる友達もいる。十分に幸せな人生の結果が出ているのです。

その時私は、自分が"自分の人生"に期待し過ぎていることに気がつきました。

これだけ頑張っていたら『何かびっくりするような人生の確変があるんじゃないか』という風に。

それはもう、宝くじを買って3億当たると本気で信じているのと同じで、あまりにも他力本願であることに気がつきました。

その時から私は"期待すること"をやめました。

ここで気をつけたいのは『期待をやめること』と『諦める』ことは全く別である、ということです。

私が期待を捨てられずに生きてきた原因として、『期待をやめること』 は『諦めること』と同意だと思っていたことがありました。

諦めることはすごく寂しいことだと思っていたし、大切な相手や仕事であるほど"諦めたくなかった"のです。

だけどある時気が付きました、『期待』って『期』を『待つ』って書くじゃないですか。あぁ、『期待する』っていうのはそれが叶うまで"ずっと待っている"状態なんだなぁ、と。それってものすごく受動的で他力本願でしんどいなぁと。

つまり、"期待しない"というのは叶うことを待っているのをやめる、ということで"諦める"というのは思いを切り替え断念することで、それは表面的には限りなく似ていて実は全く違うのです。


期待することをやめ、"価値観"や"常識"の合わないものは潔く諦め、万物は表裏一体であると受け入れ、認め、そしてそれら全てを許しに導く。

その中で生まれる新しい自分への"気付き"以外に自分を成長させてくれるものはなく、それ以外に自分を幸せに穏やかに導いてくれるものもありません。

私のブログを読んでくれている勘の良い方であればお気づきかもしれませんが、実はこれ、先日のブログ でお話しした『人間の17の意識レベル』の、レベル250『中立』〜レベル500『愛』のポジティブな精神状態を行ったりきたりしていることに気がつきます。

中立→意欲→受容→理性→そして愛。

そしてそれを言葉にして唱えるだけの【ホ・オポノポノ】という心身健康法。

やってみるのも悪くないのではないかと思うのです。

ちなみに私は毎日唱えてはいませんでしたが、何か対人関係で腑に落ちないことがあったり自分自身に対してモヤモヤを感じていた時は、頭を空っぽにして 「受け入れ、認め、許し、愛しています」と、深呼吸をするような感覚で心の中で唱えていました。

私の場合、最後まで残っていたのは"期待"でしたが、それを手放した途端に、人生のあらゆるものが美しく見えた衝撃は今でも忘れません。 


長くなりましたが、今日は人生の悩みや不安を解消する簡単な方法 【ホ・オポノポノ】をご紹介しました!

とてもシンプルでおすすめな方法ですので是非日常に取り入れてみてください☺︎

いつもブログを読みに来てくれてありがとうございます。

このお話が幸せで豊かな人生の糧となれば幸いです。

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